何でも敏感になっていたい
- 6月7日
- 読了時間: 3分
こんにちは。
前回の更新からまた随分時間が空いてしまいました。今回のタイトル。なんのこっちゃ?となると思います。でもこれ、気になってほしい。そんな話です。それではいつも通り紐解いていきましょう。
ぼくは、ずっと前から、いつも、「どんなことでも敏感に反応できるアンテナを持っていたい」なぁと思っています。「鈍感力」という言葉がありますが、これもまた魅力的ではあります。自分は鈍感
として、他人の言う戯言など気にせず、自分の目標に向かって突き進む!というような発想ですね。生きていれば、いらないことが耳に入ってくることがあります。そんなこと気にしないぜ!と。
まあ、それに対して「敏感力」というのでしょうか。わかりませんが。
例えば、あなたが紙ごみをゴミ箱にポイっとするところをイメージしてください。もしくは実際に捨ててみてください。A4の紙とかそんなでよいです。もっと小さい紙でもよいです。
今、くしゃくしゃっと丸めませんでした?
丸めたでしょう?なんで??丸めずに捨てたほうがゴミ箱も満杯になりにくいです。それなのに多くの人が丸めてポイするんです。紙が憎かったわけでもなく。ほとんどやっちゃうんですよね。この動作なんで?
結局のところ、この丸める動作が何でかはわからないのですが、こういうどうでもいいことに気付いていたいんです。
今のそれ、なに?なんで?どうしてそうなるの?
これって小さい子のパパやママに聞いちゃうあれですよね。これって人間の本質の一つで、ただ知りたいだけなんです。小さい子は見るものすべてが新しくて、気になって仕方ない。大人になるにつれてだんだん「当たり前のことが増えていく」んです。そして気にならない。学びの楽しさを忘れていく。
その空白には何を埋めましたか?日常の忙しさですか?大切な人のことですか?
学者さんではないのでわかりませんが、その空白はどれだけやっても絶対に埋まらない部分があるのかなと考えています。だって社会人に数学を教えていて、はー、そうなんだ!と笑顔になる瞬間があるから。別に数学である必要はないんですが。
小さい子のなぜ?なに?なんで?はただそう思って、ただ聞く、聞いてどうなるかと言えば、「ふーん」とか「そうなんだね」と言って走ってどっか行ってしまいます。それで満足笑 それ以上は何も望まない。ママとコミュニケーションが取れたのでOK。子どものそれは、そんなところだと思いますが、めちゃくちゃしあわせで豊かなことだと思いませんか?
大人だって知りたがりなんです。日々の忙しさに忙殺されて忘れているだけ。でも日常の中の不思議に敏感になれれば、そのなんで?を追求することができれば、「ふーん」と言って納得することができれば、人生なんと豊かなことでしょう。などと思うのです。
有用なところでいえば、仕事なんかでも敏感に「なんで?」を感知することができれば、これは生産性のあることなのかなと思います。
ちょっとだけ宣伝をしますね。そういう「なんで?」をぼくのところで無理やり創り出してみませんか?きっと楽しみのひとつが増えるはず。体験授業、相談、お待ちしております。