得意なこと不得意なこと
- 5月1日
- 読了時間: 4分
こんにちは。
以前にアップした 才能とかやる気スイッチとか と似たようなテーマではありますが、また違ったお話を。ある人にとっては背中を押してくれる話に取れるし、ある人にとっては非常に厳しい話にとらえられるかもしれません。ぜひ最後までお読みください。
「自分はこれが得意で」とか「これはちょっと苦手であまりやらないですね」とかそういった会話をされたことがある方、とても多いと思います。ことさら学校の勉強においては、ほぼ全員が言ったことがあるのではないでしょうか。「数学と化学は得意なんだけど、英語と世界史が天敵なんだよね」とか。これはぼくのことですが笑。
そもそも「才能のあるなし」と「得意不得意」は別の言葉だと考えます。「才能」については環境要因が大きい的な話を以前にしました。今回の「得意不得意」については、端的に「自分が決めたこと」です。紐解いていきましょう。
自分で得意と認識しているもの、何でですか?なぜそのように得意と思っているのですか?それはほかの物事と比べたら圧倒的な成功体験があるからではないでしょうか。また、別の、得意と思うことよりもうまくいかないものがあるからではないでしょうか。(いくつかの上下のある成果の中で下がっているものがあるからでは、ということです)
ほかに、自分がそう思っていなくても、例えば、友人や先生から「あなたは〇〇が得意だよね」とか「〇〇はよくできるね」などと指摘されて「お、そうかも」と思い始め、反芻しているうちに自分で〇〇は得意だと認識していく場合もあります。自信を今一つ持てない子なんかにはこういう言葉遣いはかなり有効だと思っています。
では逆に不得意と認識しているものは、何で不得意と不名誉な烙印を押されているのでしょうか。それは先の話がよく分かっていれば簡単なことで、失敗体験の多さ、他ではうまくいっているのにこのときだけ失敗する(相対的に浮き出て見える)、数字で低く表現される、やっていて面白いと思えない、などが原因になります。そして、「できない」は「面白い」にはつながりにくいので、さらに遠ざけて、「できない」は加速します。さらに言えば、自信のない人ほど、こちらに目を向けてしまいます。
ここで、テーマに戻りましょう。
「得意とか不得意とか誰が決めていますか?」
「自分が決めていますよね?」
これです。途中、他人からの指摘により認知した、というような話もしましたが、それでも結果、自分自身で「ああ、そうだなぁ」と決めつけているわけです。
例えば、不得意と認識しているものについて、「自分はこれができない」と言っていいほど取り組んだ結果、できない認定をしているのかということです。人間、当然のように得手不得手ありますので、苦手、不得意があって全然かまわないのですが、達成したいものについて、寝ても覚めてもそれに徹底的に取り組んだ、これ以上ないほどやった、でもできない、できていない、だったら(やり方が悪いなどそういう原因も考えられますが)、不得意認定して割り切るのもいいのかな、と思いますが、たいしてやってもいない、食わず嫌い、そんなので、不得意認定していては勿体なくないですか?もう少しやってみたら面白さに気付いたり、少しできたりそんなことが起こる可能性があったのではないですか?
自分発信で、できるようになりたいものに、できない認定するのは勿体ないですよ。
本当に極端な言い方なのですが、〇〇に関して達人レベルなってようやく「得意」か「不得意」の判断ができるのではないのかなぁと考えます。
社会人の方には、今こそ、昔につけてしまってなんとなく今も痛むキズを今からでも治すチャンスじゃないですか?
学生さんには、数学苦手と思っていても、本当は得意かもしれませんよ?そういう子たくさん見てます。前は数学できなかったし面白くなかったから文系いったけど、数学もっとしたい、とか。
少し話を大きくしますが、発達障害のお子様をもつ保護者様、「なんでうちの子だけ。。。」と苦しく思っていませんか?そんなことないですよ。どこの当てたかわからないような文章かもしれませんが、ぼくがまだ見ぬその子は、「得意」も「素敵なところ」もいっぱいあるんですよ。
まとめです。
がんばれば、きっといいことあるよ。です。得意にならなかったとしても違う側面が見えたり、そういうものの見方ができれば他の物事でも応用できたり。ともに楽しみ、がんばりましょう!