場面緘黙症
- 5月19日
- 読了時間: 3分
こんにちは。
今日はタイトルの通り、場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)について。
あまり聞きなれない言葉ですが、その時々で言葉が出なくなる症状で、本人が生まれ持った気質や環境要因から発症することがあるそうです。
ぼくの同級生で2人(保育園から中学まで一緒の子と中学校で一緒になった子)そういう子がいました。今でこそ、調べたら色々出てきますが、当時はインターネットも発達しておらず、この言葉を聞いたからといって理解するには程遠かったと思います。前田少年が中学生だった当時のお話。
思い出すのは国語の授業です。その子が当てられると毎回黙っちゃうわけです。先生は「わからないならわからないと言いなさい。わかるなら答えなさい。」と言います。毎回そうなるので、指導のつもりで、何か言うまで授業をストップする、という暴挙に出ていました。毎回。先生はだんだん溜息をついたり、不機嫌な様子を見せてその子が何か言うか終了のチャイムが鳴るまで座っていました。
一方、クラスのぼくらは、ラッキーと言わんばかりに寝る子や不機嫌な空気感にイラつく子、はぁと溜息をつく子、そんな感じでした。不機嫌な先生を前に助けるのは怖かったですね。けっして面白い時間ではなかったです。
今となれば先生の気持ちもわからなくありませんが。。。例えば教科書の音読をクラス全体で回すときにその子だけ飛ばすと、「何であいつだけ!」となりますし、何よりその子の尊厳にもかかわりますし。まあ難しい選択を先生は強いられるのです。
もしそこに場面緘黙症という言葉があれば、先生が理解していれば、対応は大きく違ったと思います。その友人もしゃべれずとも思うところはあれこれあったでしょう。この件について話すことはなかったので、わかりませんが。休み時間などはクスクス笑ったり、控えめながらしゃべったりする子でした。
今のぼくが同じ立場(先生)なら、保護者と相談、本人と相談、この内容次第で対応は変わりますが、クラスに事情があるので今後こういう対応をとるよ、と話すと思います。実際日光アレルギーの子がいたときには相談の上、クラスみんなに相談し、座席の配慮、カーテンを常に閉める、教科担任に事情を連絡していました。きちんと話せば理解が得られ、威圧感な先生が知らずにカーテンを開けようとしたときにはクラスの子が庇ってくれるような場面もありました。これは令和の今だから、というわけでもないでしょう。
本人が思っているほど、みんな気にしていないし、そういうことなら全然OK!わかったよ、となる場合も多いですし、逆に、本人にとっては我々が思っているほど、簡単な悩みではなかったりします。このジレンマ。
大人も子どももみんな大なり小なり何かは抱えています。それを理解し合うこと、理解できなくても、そういう状況である、こうしたほうが都合がよいということを認めてあげること、そういうことができれば、少しの苦しみはなくなると思います。
それぞれの存在を認めて、尊厳を守り、尊重し合えれば。
これはきれいごとですか?