愛情と叱ることと
こんにちは。
今回のタイトル。一昔前は当たり前だったことが、今どきはかなり難しいこととなっています。学校が叱れない、親が叱れない、上司が部下を叱れない。。。何でこんなことになっちゃったのか。そもそも世論自体が「注意したい」「𠮟るべきだ」となっているのになんでみんなが口をそろえて「それはできない」と言うのか。この辺りを紐解いていきます。
単純に、声の大きい人が揚げ足をとって騒ぐ→さらに急速に広まるSNSなどで報道する、広める→不利益被るのが「じゃない人」、というこの構造は明快ですよね。理不尽で変な人もいますけどね。
「叱る」って何?というところから。「叱る」とは注意し、諭し、導くことだと思います。辞書は持っていないので、ネットで調べてみると、「目上のものが目下のものを注意し、導くこと」とありました。大体あってました。やったぜ。目上、目下は置いといて。段階的に、1.注意、2.諭す、3.導くの3段階です。この1.の部分が難しいところというか問題になるところです。言う側も言われる側も。
なんで叱らないといけない状況になるのでしょうか。
それは簡単に2通りあって、ルール・社会性に反することをしたから。もう一つは、自分の思い通りにならなかったから。ここを一緒くたにしてしまうとわけがわからなくなります。そして社会問題に挙げられている事象の原因のひとつにここをまぜこぜにしていることが挙げられます。
前者の「ルール・社会性に反することをしたから」これは、叱り方はどうあれ、誰でも叱るべきだよね、と言うと思います。後者の「自分の思い通りにならなかったから」に関しては、ついやっていませんか?(主旨と少しずれますが自己啓発として)
多くの場合、子どもや部下が叱られる対象になるわけですが、その事象を深掘りすれば、結局は自分が嫌だったから、に行きつきませんか?そしてそうなると感情で𠮟りつけることになり、「叱る」に重要な諭す、導くがなくなってしまい、ただストレス発散の矛先がその対象に向けられるだけなんです。これ、「叱る」ではなく、「怒る」に分類されますが、さらに、叱りつけたところで、「あーすっきりした(にっこり)」となる人いないんですよね。大抵はそのあともプンプンしてます。
こういうの全然、誰も、得しないんですよね。
思い通りにならなかったとて、それは別の人間同士ですし、生きていればいろんな事象が発生するに決まっています。その一挙手一投足をとってプンプンするって疲れます。そういう性格です、と言われれば、穏やかになろ?と声をかけてあげたい。もちろん、怒って見せないといけない部分はあります。これは間違いなく。
「叱る」の順序1.注意 に戻って。
注意するのもその時々のやりかたがあります。やさしく言えばいい場合もありますし、強く言わないといけない場合もあります。ときには言葉さえ必要なく、何か合図だけすればいい場合だってあります。時には人の前で怒鳴って見せないといけないケースもあると思っていて、この辺りを文字にして可視化するにはあまりにも大変な作業になるので、割愛しますが。。。
そんで、怒鳴られて、または、怒鳴っているのを見て、クレームにつながります。クレームの対応に追われ、体調を崩したり、その動作自体に恐怖を覚えるので、叱ることができなくなります。ここって、先に書いた「怒る」の部分と混同してますよね。その先に何があったか。話をちゃんと聞いてどうしようと考えたか、それが重要ではないでしょうか。
受け取り側はその辺り、結構大切にしないんですよね。
テレビやインターネットの報道などでもそうです。そこの部分を切り取って、または、受け取り側が切り取って、「怒鳴られた、最悪。クレーム入れたれ」としてしまえば、ルール、社会性は無視されます。
また、一連の話を進めるうえで重要なのがそこに「愛はあるんか?」です。愛情です。愛情があれば、感情で怒れません。まずは話すところから始まります。愛情があれば、この人をコントロールしたいとは思わず、その人にとってよりよくなってほしいと願います。しかし、ここは難しいですよね。本当に。今まで育ってきた環境、今いる環境、それらで影響を受けた考え方、様々なものが愛情の形を作ります。
一方、愛情を感じにくい人もいます。どんなにつくしても話をして説いていっても全然伝わらない子もいます。以前に担当した生徒で、相当時間話していったのですが、なかなか心までは届かず、背中を刺されたことがあります(物理的でない)。保護者からのクレームとなって跳ね返ってきたわけですが、都度コミュニケーションをとっていたので「そんなことするわけないでしょう?正しくはこれこれこうです」というので誤解は解けましたが。。。
先日はボイストレーニングを担当している生徒で、大学生なのですが、時間にだらしなく日程変更、遅刻、すっぽかし、ありとあらゆることをしてしまう生徒がいます。この子に対して、時間のことで叱りました。レッスンチケットは消費するし、ぼくに給与ははいってくるので、注意などせず楽しくやっていればよいです。しかし、その子はもうすぐ就職します。こういう感じだと困りますよね。ゆっくりその子の気持ちを汲み取りながら愛情をもって叱りました。その後、やはりだらしない部分はありますが、何とかしようとする意志や行動が見えます。
愛情さえあれば、とは全く思いませんが「愛情をもって叱り」、受け取る側は「言ってもらえてる、幸せなこと」というくらいの度量は持ちたいものです。